団体名 NGOジェンダーセンター(GCSD) ○ 設立 1995年7月 (NGOとしてモンゴル法務省登録) ○ 目標 ジェンダーの平等と貧困の撲滅 ○ 会員 360名 モンゴル全国規模で活動 ○ 活動 活動の中心は海外支援者及び国内のボランティア。 理事は無報酬で活動 ○活動状況 ☆ 1995~2000年 女性・子供・貧困に関する調査。 情報収集、調査の分析、情報公開、教育活動。 ☆ 2000~2005年 政府への政策提言活動 ☆ 2006年~ ウランバートル郊外ゲル地区での地域住民参加型支援活動 現在の活動(取り組み) ・女性支援 ・こども(0才~18才)及び成人も保護教育支援 ・援助機関のネットワーク作りと支援 ・地方NGOの育成 ・住民参加の促進
初めてモンゴルを訪ねたのは1999年の6月のことでした。沖縄県民に呼びかけ、冬物の衣料や楽器などを集め、マンホールに暮らす子供たちに届けに行った。6月とはいえ、極寒のモンゴルの寒さは体にこたえました。マンホールの中には、数多くの子供達がぼろぼろの衣類を身にまとい、寒さに震えながら生きていました。
8月には沖縄の新聞社などの協力により、大々的に「マンホールチルドレン衣類支援」を呼びかけ、大量の冬物の洋服を集め40フィートコンテナに詰め込みウランバートルへ輸送しました。
しかし、衣類の仕分け、クリーニング、衛生証明書発行、モンゴル国税金、輸送費など、莫大な経費がかかるために、現在は行っていません。
沖縄の人達の善意でウランバートル郊外にマンホールチルドレン保護施設「沖縄の家」が完成しました。敷地面積約300坪、建付け面積35坪のログハウスのようなきれいな建物で、入り口にはロシア語、日本語、英語で「この子供の家は、沖縄のNGOの出資により建てられました」と書かれたプレートが掛けられています。そこで暮らしている子供達の生い立ちは、あまりにも凄まじく悲しいものです。しかし、この家に暮らすことにより、夢を持ち、希望の光を見ることができるようになりました。
ダルハン沖縄の家支援事業は、日本の皆様の温かいご支援のもと、活動してまいりましたが、現地責任者より、子どもたちの自立に向けて一定の成果が達成出来ましたので、今後は自ら活動したいとの要望がありました。アジアチャイルドサポートはその要望を尊重し、ダルハン沖縄の家支援事業は終了致しました。(モンゴル国の他の事業は継続中です)今後は当団体の理念『過酷な中でも一生懸命生きる人を一人でも多く支援する』をモットーに引き続き事業を展開し、国際協力を通した日本の青少年健全育成事業を推進してまいります。日本の皆様の温かいご支援を今後ともお願いすると共にご報告とさせていただきます。
2003年8月23日にモンゴルウランバートルにおいて、新潟の上越青年会議所のメンバーが中心となって取り組んでいたデイケアセンターが完成し、その開所式に招かれました。
ウランバートルの最貧困層(貧しさゆえに学校へ通うことも難しい)の子供達に対する基礎教育や、職業訓練のためのセンターです。入所する40名の子供達も決定しました。
2年前に上越の高田郵便局の招きで、池間(アジアチャイルドサポート代表理事)の講演が行われ、モンゴルの子供達の状況を伝えました。その時から、新潟の地でモンゴルの子供達に対する運動が始まりました。多くの苦難の末、やっと、このセンターが完成したのです。
上越の人々の優しい心で完成したこのセンターは「上越「ほんの少しの優しさの家」と名付けられました。
児童保護施設に車が無いために、非常に困っていました。急病人が出ても、車と運転手の手配に時間がかかり、手遅れになることもありました。ひどい時には、馬車で病人を運ぶ事もありました。
4台のワゴン車等の支援を行いました。車の購入費は安かったのですが、輸送費と、税金で、莫大な資金を必要としました。
2005年5月に、音楽学校が完成しました。
5階建てマンションの二階部分を購入し、「ダルハン沖縄の家」が完成しました。学校にも近く、暖房施設も完璧です。
モンゴルの首都ウランバートルには、マンホールチルドレン問題など、子供の保護や児童犯罪を専門に扱う児童警察があります。
1999年から調査や支援で、児童警察の方々にお世話になっています。児童警察が運営する子供たちをマンホールなどから保護し、一時預かる施設があるのですが、建物は老朽化しており、隙間風が入り、雨漏りもするほどの、醜い状態です。
2006年の4月から改修工事を始め、その年の8月に工事完了。子どもたちのリビングルームやトレーニングルーム等も増築し、立派な施設に生まれ変わりました。
児童警察署長は、施設の改修工事が評価され、年間最優秀署長賞を受賞しました。
ダルハン市の町は、失業率が50%を超え、凄まじいばかりの貧困と暴力が渦巻いた町です。
夫を失い生活に困窮した母親達がアパートの地下にもぐり暮らしていました。ビルの電気、水道などの廃刊をメンテナンスする土がむき出しになった穴倉で生きていました。彼女達が暮らす地下室のことを、地元の人々はバランク(良くない所、悪い場所)と呼んでいました。
バランクの中は、人間が暮らすような場所ではありません。トイレも水道も無いのです。真っ暗な地下室は、夜になるとネズミが走り回り、安全に寝ることも不可能です。コンクリートが剥き出しになった空間には、部屋を仕切る壁もドアもありません。
母親たちは毎日、暴力に怯えています。酔っ払いが入ってきて殴りかかってくる、時には性暴力にもあっています。子供たちの顔は虫に刺されたような跡が無数に残っていました。
この母親たちが必死になって子供を育て、生きている姿は、余りにも悲惨です。