「一人でも多くの子どもを。一人でも多くの人々で支える。」
これまでモンゴルにおいては児童保護運動を中心に事業を展開してきました。皆さんのお陰で多くの子ども達を保護するまでになりました。日本各地で行われたアジアチャイルドサポートが保護している子ども達のコンサートは大反響を呼びました。モンゴルでの活動の中心地であるダルハン市においても、その評価は非常に高い。だからこそ今、基本に戻ることが大事だと考えています。
私たちの活動の基本は「一人でも多くの子どもを一人でも多くの人々で支える」です。今年の1月に地下の穴倉で暮らすバランク(アパートなどの地下の水道電気などのメンテナンス空間。人間が住む環境ではありません)マザーを調査してきました。夫を亡くした母親たちが、収入が途絶え、大変な状況で幼子を抱えて生きていました。マンホールの中と変わらない地下の凄まじい生活環境の中で必死に生きながらえていました。この母親と子ども達を支援するプログラムが非常に重要だと考えています。「せめて、我が子だけは人間らしく生きていけるようにしてください」と悲痛な叫び、訴えを聞いてきました。
首都のウランバートル市やダルハン市以外の地方の町や村からも「子ども達を助けてください」と連絡が入っています。都市部よりも逆に地方のほうが親から見離されて子ども達の状況は悲惨です。今年は地方において子ども達の現状調査を行い、出来れば年内に児童保護施設を建築して行きたいと思います。
「必要な場所で必要な支援を行う。」
カンボジアの「沖縄学校」は3千名の子ども達が学ぶ大きな学校となっています。スラムやゴミ捨て場に暮らす人々を移住させたセンソック地区は貧しさと暴力が渦巻いた地域であった。この地域に最初に学校を建てたのはアジアチャイルドサポートです。
不思議な現象が起きているとの報告があった。首都のプノンペン市周辺では学校を建てすぎて使われていない校舎も出るほどだというのです。事情を聞いてみると日本をはじめとする国際協力団体がプノンペン周辺だけで学校を建設していることが多いといいます。首都周辺での建設のほうが地方の村々に比べると安心して出来るため、結果として学校が一部に集中してできてしまったのです。
「本当に学校が必要なのは地方の村です。地雷が埋まる危険地帯こそ学校が必要です」と現地からの依頼が入った。その訴えは悲痛とも思えるほどでした。即座に決断いたしました。「アジアチャイルドサポートが学校を建築いたします」と。「必要な場所で必要な支援を行う」のが当団体のモットーです。カンボジアの地方は、まだまだ治安の面でも心配です。依頼された地域は地雷被害があとを絶たない村です。昨年の末には現地調査を行いました。間違いなく今年中には学校を完成させる予定です。
「病気になっても病院に行けない、行かない、行きたくない。」
マヤンチャウン村のはずれに、ACSが支援している元ハンセン病患者の施設がある。この施設は、政府がハンセン病の人々とその家族を排斥・隔離するために強制移住させた森の中にあり、当時、移住させられた2700名のうち、約半数がマラリアによって命を奪われ、飢饉で亡くなっていった。その人々は、深刻な食糧不足のなかで、病気と戦いながら必死になって森を開拓し、家を造って生き延びてきた。今でも、マヤンチャウンに向う道は一切舗装されていない。乾季には赤い土煙がもうもうと舞い上がり、雨季には泥の河となり人間が歩くことさえもままならない場所である。
ここには、20代の若者から70代の高齢者までが生活している。すぐ近くにマヤンチャウン村の診療所があるが、お医者さんが常駐しているわけでもなく、設備も整ってはいない。昨年の7月に訪れた際、丸2日間、おしっこが出ずに苦しんでいる方がいる、と知らせを受けた。幸い医師が近くにいたため、大事にはいたらなかったが、もし、治療を受けることが出来なければ、命に関わる事態になっていたかもしれない。「どうしてこうなるまで我慢していたの」と理由を聞くと「病院には行きたくないから黙っていた」というのである。
具合が悪くなった時、この施設に暮らす人々は日ごろより更に大変な思いをする。ハンセン病に対する差別や誤解のために、彼らを受け入れてくれる病院はごく限られているうえ、そこで治療を受けるためには、施設から丸一日かけて車や電車、バスなどを乗り継いで行くための高額な交通費と、入院期間中の患者さんと付添いの人の食事、滞在費など高額の費用がかかる。長時間揺られていくことは、体中がボロボロになっている元ハンセン病患者の皆さんにとってかなり過酷である。必死に頑張って病院にたどり着いたとしても、入院生活が精神的にとても辛いという。ハンセン病に対する差別と偏見のため、一部屋を借り切って入院生活を送らざるを得ないことも多く、そうでなくとも他の患者に気遣い、入浴の順番を最後に回された挙句、時間が無くなっから入浴時間は終わった、と職員に言われたりするなど、深刻ないじめも日常茶飯事のように起きる。
ミャンマーでのハンセン病患者に対する差別的な政策は無くなったと聞いたが、現状としては、相変わらず差別と偏見に苦しめられている方が大勢いる。家族にハンセン病患者が出たと周囲に知れたら、もうそこには住めなくなるほど嫌がられることもよくある。自分が発病したために、家族を愛しているからこそ、黙って家を出て消息を絶った人が施設にもたくさんいらっしゃる。
ACSは、このような状況でもお互いを思いやり、助け合って一生懸命生きているこの方達が、いつか、何の気兼ねもなく自由に生活できるようになるまで、これからも支援活動を続けてまいります。