いまどきの子ども達に聞いてみる、「君たちの夢はなんだい?」って。するとこんな返事が返ってくる。「IT長者になりたい」「Jリーグで活躍すること」「大リーガーになること」「横綱になって雲竜型の土俵入りをすること(そんな子どもはいないか!?)」いろんな返事が返ってきます。でもそれって本当に夢なんでしょうか?
短期間でお金を儲けること、それこそ一晩で何千万いや億単位のお金を動かす人がいます。ホリエモンの夢は時価総額が世界一になることでした。その結果が逮捕です。大きな夢を達成するために、彼は目的を掲げていたことでしょう。さらにそれを遂行するために目標を持ち、それを行動に移し、きちんと達成していきました。20代から会社を興し、軌道に乗せ、次から次へと買収を繰り返して大きくなることは、いままでの日本人の常識を逸したものでした。人々は彼のことを新しい時代のヒーローとか、時代の窮児と褒め讃えました。彼は、成功するための法則をセオリー通りにやっただけです。時価総額世界一を目指してひたすら頑張りました。そんな彼がなぜ失敗したんだろうって、ずっと疑問でした。そんなことを考えていたとき、昨年12月に池間さん達と一緒にミャンマーに行く機械を与えてもらいました。そして、ミャンマーの体験でその答えを見つけたんです。
ミャンマー、それはそれはすごいところです。みゃんまよー(あんまよーの洒落です。すみません)の世界です。「戦前の沖縄が残ってるよ」なんて云いますが、戦前の沖縄を知らない私には理解でない世界でした。電話やテレビといった電化製品はありません。
だって電気がないのですから。洗濯機や皿洗い器もありません、水がないからです。ガスもない世界です。そんなところでミャンマーの人達は暮らしています。なるほど、池間さんがいつも言っているように一生懸命生きています。
初日に建設中の学校に赴きました。村人の大歓迎が待っていました。たとえ生活が貧しくとも(彼らは決してそうは思っていないかも知れませんが)、心まで貧しくはありません。それは、彼らの身体から溢れるエネルギーを感じれば分かることです。村に入るとACSの学校が建設中でした。たくさんの建設労働者が休みもせず、学校建設に携わっていました。そこには村人達の姿もありました。女性は子どもをおんぶしながらレンガを砕く作業です。おばあちゃんも腰を曲げながらも土を運んでいます。おじいちゃんはしわくちゃの顔で荷車を押していきます。(一番働いていなかったのはおじさん達です。ちょっと沖縄に似ています)村人が学校建設のために力を合わせています。自分のためじゃありません。子ども達のためです。村人達の夢はなんだったのでしょう。それは学校をつくることです。暑い日でも雨が降っても、いつでも子ども達が勉強できる環境をつくってあげることなんです。学校を作ったっておじいちゃんにはなんの得もありません。おばあちゃんの生活が楽になるわけでもありません。でもみんなひたむきなんです。その時気づきました。
夢ってのは他人のためのものなんです。夢はなんですか?「IT長者になることです」・・・自分のことしか考えていません。「大リーガーになること」・・・これしかりです。「IT長者になって、世界の恵まれない子ども達をサポートするんだ」とか「大リーガーになって人々に希望と勇気を与えたいんだ」こうなってはじめて夢と言えるんじゃないでしょうか。「IT長者になること」は単なる野望でしかありません。夢には利他の精神が必要なんです。ホリエモンがそうです。野望だから失敗しちゃうんです。ビルゲイツは引退して私財をボランティアにつぎ込むと宣言しました。夢を持った人間の違いです。
2日目にはハンセン病の患者さんの施設に行きました。会場に着くとまたもや歓迎です。雛壇に上げられ坐っていると、池間さんが私のことを紹介してくれました。「彼は久高といいます、沖縄から来たドクターです」と、その時です。会場にいるみんなの目の色が変わるのをはっきりと感じました。「自分たちの村にわざわざドクターが来てくれた」「自分の傷を見てもらいたい」そんな思いが顔に表れたんです。自分のことをこんなにも欲しいる人達に出会うのははじめての体験です。にわか診療室を作るとそこにはたくさんの人が列を作りました。
「私の子どもの頃の夢は?」それは医者になることでした。シュバイツァーの伝記を読んで以来、医者になって人々のために頑張りたいって思ったんです。小学校5年生の時でした。そして私は20年前に医者になりました。日々の仕事はハードです。侵食を忘れるほどやっても報われないことが沢山あります。不眠不休働き、家族との時間もとれずに、いつのまにか毎日愚痴ばっかりいっている自分がそこにありました。そんな自分の夢を忘れていました。医者になることが夢じゃないんですよね。それだけでは小さな野望にしかすぎません。人々の役に立ってはじめて夢になるんです。5日間のミャンマー生活での大きな気づきでした。
今年は、那覇私立病院からもっと多くの医療人がミャンマー遠征に参加してくれそうです。彼らが彼女らが自分の夢を再確認、あるいは発見出来るといいですよね。
もう一度自分にたずねてみて下さい。
「私の夢ってなんだろう?」
子ども達に聞いてみませんか、
「君たちの夢ってなんだい?」
サムナンさんは51歳。地雷などで手足を失った障害者を育成するカンボジアの民間団体のリーダーです。英語が堪能な優秀な男性です。いつも明るく「ワハハ」と豪快に笑う。アジアチャイルドサポートのカンボジア支援事業の有力なパートナーの一人です。
彼はポルポト時代に家族と引き離され収容所に入れられた。1978年、ポルポト政権は崩壊し収容所から出てきた。一家全員が皆殺しとなりサムナンだけが生き残った。天涯孤独の身となり意気消沈している頃、「姉さんが生きている」との情報が入った。タイ国境近くのバッタンバンのカンボジア難民収容所に3歳年上の姉が生きていることが解った。その喜びは大きなものだった。
サムナンは徒歩でプノンペンからバッタンバンへと向った。一週間、歩き通して、やっと、バッタンバンにたどり着き「姉さんに会える」とホッとした瞬間「ドーン」と大きな音がした。その後の記憶は無い。サムナンは地雷を踏んで右足を失った。気が付いたのはバッタンバンの病院の中だった。ベットに横たわっている時に「姉さんは難民収容所に保護されていたのだが病のために無くなった」と悲しい知らせが届いた。
サムナンさんは地雷被害者や障害者のために必死になって働いている。障害を抱えた皆さんの良き相談相手でもある。仕事に対して非常に厳しく妥協を許さない。得意の英語力で欧米などのNGO団体と激しくやりあう。頼れる存在です。
「ポルポト時代の話をインタビューさせてくれませんか」と頼むと「悲しくなるから聞かないで下さい」と大粒の涙を流した。
(池間 哲郎)