皆様お元気ですか。カンボジアでは特に都市部でものすごい経済発展をとげています。貧富の差はますます広がっている状況です。7月19日にコンポンチャムの縫製学校開学式典を行い、学校として機能し始めました。
彼らはできたてのきれいな建物の中にミシン23台を導入してさらに8月から今までの4人の先生に加えてさらに2人の先生を迎えいれて、服のみならず、かばん、彫刻などいろいろな製品作りにチャレンジしていました。ただ、ミシンは23台あるのですが、学生は60名以上殺到し、順番町をしていのす。
皆、手に職をつけたいとやる気いっぱいです。
タイ・ラオス・ベトナムに隣接しているカンボジア。かつては、東洋一豊かな国とまで讃えられていたこの国は、一九七〇年代から内乱のために多くの知識人、リーダーを失った。内乱終結から15年、かつて混乱を極めたこの国の若者のなかには、国の将来を想い、活動する人々も大勢居る。この国の将来を担う人材育成が急務、という熱い思いから、二〇〇三年に設立されたカンボジアメコン私立大学には、マネージメント、ツーリズム、サイエンス、法学、外国語、経済学部がある。学生達は、非常に勉強熱心で、地方出身の学生もいる。しかし、まだまだ農業の盛んなこの国では、貧富の差が激しく、いくら優秀でも大学に通うことが難しい若者も多い。
アジアチャイルドサポートの一番の理念は、アジアにおける極度の貧困地域の中でも一生懸命生きている、より多くの人々を、より多くの人々の力で支援するという理念を持っています。そこで、貧しくとも、懸命に学ぶ学生達を支援するため、この大学での奨学金事業をスタートさせることになりました。奨学生選抜試験ももうすぐです。この若者達の中から、カンボジアの新しい将来を担う人材が数多く育っていくことを祈っています。
ダルハン沖縄の家支援事業は、日本の皆様の温かいご支援のもと、活動してまいりましたが、現地責任者より、子どもたちの自立に向けて一定の成果が達成出来ましたので、今後は自ら活動したいとの要望がありました。アジアチャイルドサポートはその要望を尊重し、ダルハン沖縄の家支援事業は終了致しました。(モンゴル国の他の事業は継続中です)今後は当団体の理念『過酷な中でも一生懸命生きる人を一人でも多く支援する』ほモットーに引き続き事業を展開し、国際協力を通した日本の青少年健全育成事業を推進してまいります。日本の皆様の温かいご支援を今後ともお願いすると共にご報告とさせていただきます。
モンゴルからアジアチャイルドサポート日本留学支援の第一期生としてウーガンジャルガルさん(愛称ウーガナー 20歳 女性)が沖縄大学へ入学することが決まりました。
モンゴルの子どもたちのコンサートを初めて開催した5年前に琴の奏者として沖縄にやってきた少女は厳しい家庭環境に生まれたため児童保護施設に暮らしながら高校に通い学んでいた。コンサートの全日程を終了し別れの宴の時に、何気なく「ウーガナー、日本で勉強してみないか」と聞いてみると「本当に私が留学しても良いのですか。自分は夢を見ても良いのですか」と大声で泣きました。
彼女はアルバイトをしながらモンゴル国ダルハン市の大学で日本語を学び、そして今年の7月に沖縄大学の入学試験を受け見事合格しました。10月から大学生活がスタートしました。ウーガナーは日本語検定試験2級をパスするまで頑張ると強い決意を持っています。「将来の夢は何ですか」と聞いてみると「モンゴルと日本の架け橋となりたい」「自分と同じ様に家庭に恵まれていない子どもたちの見本となりたい」と真剣な表情で答えました。
親が居なくとも懸命に頑張ってきた少女の日本留学は同じような境遇の子どもたちの見本となることは間違いありません。大変な状況の中で懸命に生きているモンゴルの子どもたちの希望となり夢となることでしょう。
モンゴルから留学生を受け入れるためには莫大な資金がかかります。多くの会員の皆さんの力添えがあるからこそ、この支援は実現することが出来ました。ウーガナーに「多くの日本人の善意で、あなたの日本留学が実現しました。いつも、このことを忘れないで下さい」と言っています。彼女も「良く解っています。私は頑張ります。応援して良かったとアジアチャイルドサポートの会員の皆さんが思えるように一生懸命に勉強します」と答え、表情は固い決意を表すようにキリリと絞まった。
祖父母とゲル前で記念撮影。両親の愛に見放されたウーガナーは貧しい遊牧民の祖父母に育てられた。今日の食べ物さえ得ることが大変な状況のために一時期は児童保護施設で暮らしていた。優しかったお婆ちゃんは昨年の春に亡くなった。ウーガナーは、いつもお婆ちゃんの心配ばかりしている。