児童労働とは・・・概ね15才未満の子どもたちが、十分な教育や成長の機会を与えられずに働くことをいいます。また、18才未満の子どもが心身の健康、安全、道徳を害するおそれのある労働に従事している場合は「最悪の形態の児童労働」といいます。
一日中働く少女 ‹ネパール›
首都のカトマンズから西へ車で3時間ほどの地域がパンチカールバレー、パテルケット村。アジアチャイルドサポートのネパール支援重点地域です。山々の頂上まで段々畑の景色は美しくのどか。
改修工事を行っている、この村のアマンカール小学校で勉強する少女達に「家では、ちゃんとお母さんのお手伝いをしていますか」と聞くとキョトンとした顔で「何を言っているのか解からない」と答えました。「お手伝い」の意味が解からないそうです。
自分達は朝の4時におきて顔を洗って歯を磨き、それから農作業をやって6時ごろ家に戻ってきて料理をして、ご飯を食べ学校に行く。学校が終わるのが4時ごろ。それからまた農作業、水汲み、洗濯、そして料理。夕飯を済ますのが7時ごろ。それから勉強をして眠るのが10時ごろです。遊ぶ時間は全くありません。
一日中、少女達は働いている。それは親の手伝いではなく「自分たちに与えられた仕事」です。仕事をするのが当たり前。だからお手伝いの意味がわからないのです。
ネパールの田舎に暮らす女の子達が学校に通うことが出来るのは少ない。昔からの考え方で「女は結婚をして子どもを生み家事を行い畑仕事さえしていれば良い。教育は必要ない」と親が娘達を学校に行かせない方が多い。
少女達は朝から晩まで働いています。特に大変なのがマキ拾い。山々で暮らす人々に電気やガスはありません。料理をする時にはマキが燃料です。起伏の激しい山々を毎日、2時間も3時間も歩いてマキを拾う。大きなカゴを背負い細い山道を歩く。雨の降る時期には赤土の道はぬかるむ。時には足を取られ崖から滑り落ちる事故も起きる。女の子達にとって大変な仕事です。
マキ拾いが終ると料理です。狭い小さな台所には窓さえも無い。真っ暗な部屋にこもり、マキに火を付け料理が始まる。しばらくすると台所は煙がモウモウと立ち込め充満する。強烈な煙の刺激で眼は真っ赤になる。ゴホンゴホンと喉がやられ咳き込む。毎日、この様な作業を繰り返す。少女達は肺病で苦しみ眼病で涙を流す。
アマンカール小学校の少女達から質問があった。「日本の子ども達は学校が終わって家に帰ると、どんな仕事をしていますか。畑仕事や料理もやっていますか」と聞かれた。答えることは出来なかった。
ネパールから知人を通して緊急支援要請が入った。タイ、カンボジア、ミャンマーなど支援国は5カ国に及ぶ。どうしたものかと悩んだ結果、やはり「ほっとけない」と調査へと飛んだのが今年の3月。ネパールの首都カトマンズもタイのバンコクやカンボジアのプノンペンと同じように人々が溢れ交通は大渋滞。1300メートルの高地にもかかわらず暑さも強烈。約2500万の人口で、その殆どはヒンズー教徒。人々の顔はインド系とモンゴル系が極端に区別できる。女性達はサリーを身にまとい美しく優雅にも見える。
ネパールは世界で最も貧しい。男性よりも女性の平均寿命が短い世界で、ただ一つの国でもある。男尊女卑の考え方が根強く女性は虐げられ状況。特に地方が深刻で女性は50歳半ば頃で命を失うことが多い。
ネパール西部のパンチパールバレーのパテルケット村に入った。ヒンズー教のローカーストの皆さんが数多く暮らしている集落です。人々は貧しく現金収入も殆ど無い。その中で女性が苦しい状況でありながらも何とか自立の道を模索していた。月に100円ぐらいの小額積み立て貯金や野菜などの換金作物の栽培などをお母さん達が頑張っていた。
50名ぐらいの女性達と真剣に話し合いました。村を良くして行きたいとの願いは強い。「女性センターの建設に力を貸してください」との申し出を受けた。女性達の力を合わせる場所が出来ると色々な利点がある。衛生教育、生活向上改善講習、悩み事相談など大きな助けとなる。特に家庭内暴力に対しても大きなガードとなることは間違いないと判断し、そして村長を始め男性の有力者や女性代表も交えて話し合い「パテルケット村女性自立センター」建設の正式契約を交わしました。来年の春ごろには完成予定です。
女の子達に対する支援も始まりました。毎日のように重いかごを背負い野山を歩き回るマキ拾いは大変な仕事です。重労働から少女達を解放するために「バイオガスコンロ」1000台建設を目指して工事に入りました。人間のトイレの横にタンクを作り、家畜のフンと混ぜ合わせ水を入れてドロドロの状態にして貯水タンクに貯蔵します。すると半年程度で人糞や家畜のフンからメタンガスやブタンガスが発生し、しっかりと炎がつき調理用の燃料となります。これが出来ると少女達が助かります。
最も緊急を要したのはHIVで苦しむ女性達でした。日本で言えば中学生ぐらいの女の子達が貧しさのためにインドへ売春婦として売られることが良くあります。女性が売春婦として生きていくのは地獄の中で暮らしているようなもの。そして、もっと悲しいのが間違いなくHIVに感染してしまうこと。エイズが発病すると村に返される。しかし、村に帰ってきても差別と虐待を受ける。田舎から逃げ出しても仕事を見つけることは不可能に近い。エイズで体はボロボロ。誰も助けてはくれない。絶望的な悲しみとドロにまみれて死んでいく。旦那さんや恋人から感染した女性も信じられないほどの状況に追いつめられる。主人や恋人が買春でHIVに感染。そして、奥さんや彼女も感染してしまう。生まれてきた我が子も母子感染でHIVとなることも多い。誰も優しさは持っていなかった。旦那や恋人がエイズ発病で死んでしまうと義理の両親や親族などから徹底した差別といじめを受ける。「家族、親族の恥だ」と追い出される。
HIVで苦しむ女性や子どもを守る「クライシスセンター」があった。サリタ女史(28歳)をリーダーとする女性8名が運営する団体。彼女達の殆どがHIVの感染者。中にはインドで売春婦として働いていた方も居る。ヒンズー教の、この国で「自分がエイズです」とカミングアウトすることは徹底した苛めにあう覚悟が必要です。それでも彼女達は「自分と同じ境遇の女性達を守る」と立ち上がった。素晴らしい女性達です。
クライシスセンターは大変な状況でした。管理費、運営費、全てがありません。主食となるお米さえも買うことが出来ない。お金が無くて閉鎖寸前の状態でした。HIVで苦しむ女性や子ども達の駆け込み寺が「クライシスセンター」。この施設がなくなることは多くの女性や子ども達が捨てられ命を失うことに等しい。
リーダーのサリタさん、自分がインドで売春婦だったとカミングアウトしたゴーマー女史が涙を浮かべながら「どうか、日本の皆さん助けてください」と手を合わせ訴えてきた。
アジアチャイルドサポートはHIV感染者女子及び母子を支える「クライシスセンター」は絶対に必要との判断で、運営支援を行うことを決定しました。そして、早急にセンターの建築に入ります。借り物の建物だと多くの差別と嫌がらせにもあってしまう。自前の建物を建築することも大きな意義がある。センターが維持継続されることにより多くの女性が助かり、多くの子ども達の命が支えられます。