(石巻市内四十代男性)
「地震の後30分くらいだと思う。近所の人7名で避難の相談をしていた。バキバキと音がしたので、振り返ると津波が迫ってきた。私は流されたが、近所の建物にしがみついき奇跡的に助け出された。家はもうない。」
(南三陸町)
津波はこの地区で一番高い6階建てのデパートを呑み込んでいきました。見渡す限りの建物が破壊されています。リアス式海岸では津波に勢いがつきます。凄まじい力は土をえぐりとってしまいます。元に何があったのかさえ分からない状態になっています。
被災直後から数日間、この地域は、交通網が遮断されて完全に孤立し、全く支援の手が届きませんでした。食べ物が底をつき、飢えを凌ぐために地面に落ちていた黒く変色した米をざるですくい集め、浜に流れついた死んだ魚を食べて生き抜きました。役場の職員の皆さんも多くの方が犠牲になり役場の機能を果たせなくなっているのです。私達は、自分でできることは自分たちでやろうと決めて頑張っています。
炊き出しを美味しそうに食べていた女子高校生が笑いながら、「私の家流れちゃったよ~。」と言うとその友人も「私の家も流れたよ~」と明るく答えていました。泣くと悲しくなりますが、笑うと元気になるようです。決して街全体が涙で覆われるわけではありません。
「ビルの屋上に避難した。多くの人が流されるのを見た。私は助かったけど、この助かった命を何とか人のために役立てたい。」
現地で自らも被災しながら頑張っているボランティアスタッフの言葉です。仕事を続けることが困難な状況に陥りながらも、避難所の皆さんの要望を親身になって聞きとり、体力の続く限り必死にサポートしています。ボランティアスタッフの会議の中で、「私たちはそんなに弱くない、絶対に復興してみせる」と話されていました。どんなに辛くても前へ進む、強い決意が伝わってきました。