内戦によって遅れたインフラ整備
スリランカでは、2009年5月に終結が宣言されるまでの26年間、反政府武装組織と政府軍との内戦が繰り広げられました。その影響で、農村部では、上下水道・電気・道路など社会基盤の整備か遅れています。
コロンボ市内から北東200キロ、車で5時間移動した場所にアヌラダープラ県ギラーネマ村はあります。村人の多くは農業で生計を立てています。近くを流れる川から水を汲み、飲み水だけでなく農業用水としても利用しています。しかし、工場や各家庭の浄化槽の整備が遅れているため、汚水の浄化が不十分なまま海や川に放流され、水質汚染が進んでいます。子どもたちは汚染された水を飲んで、赤痢や下痢などの感染症を引き起こし、抵抗力のない幼児は命を落とすことさえあります。6~9月は季節風が吹きその影響で雨が降らなくなり、浅い井戸や川は涸れてしまいます。そのため遠くの井戸に汲みに行ったり、食料を切り詰めて水を買うこともあります。
豊かになった生活
「私たちの集落には12世帯53名が住んでいます。井戸ができる前は、川の水が涸れると1キロ先から毎日水を汲んでいました。水量が少ないので、飲み水の分だけしか使わせてもらえず、とても困っていました。以前の井戸は濁っていましたが、完成した井戸は、透明できれいな水です。水量が多いので、カボチャ・ゴーヤー・ヘチマなど、いろいろな作物を育てる事が出来るようになりました。お金に余裕のない私たちにとっては貴重な食べ物です。井戸のおかげで、安心して生活しています。日本の皆さまに心から感謝しています。」
スリランカの農村部では、ほとんどの家庭が川や井戸の水に頼って生活していますが、汚染や水枯れの問題は深刻です。特に5歳未満の子どもは命に直接影響します。未来のある子どもたちが人生の良いスタートを切れるように今後もスリランカでの「命の泉事業」は継続して参ります。皆様のご協力を賜りますよう宜しくお願い致します。
家族にも裏切られ
ミャンマーの首都ネーピードーから南へ400キロの位置にあるマヤンチャウン村に、元ハンセン病患者が暮らす保護施設があります。
かつてミャンマーでは、顔や手足の変形や視力障害といった後遺症が目立つことからハンセン病患者は、人びとに恐れられてきました。当時の軍事政権は、隔離政策を取り強制的に感染者を移住させ、家族や知人も「一緒にいると私たちも全員差別を受けてしまうから」とマラリアが蔓延する森の中の施設に追いやりました。
施設に対する国からの支援はほとんどなく、入所者はまともな食糧を手に入れることも出来ません。店で売り物にならないくず米や腐った米を食べ、深刻な栄養失調とハンセン病の後遺症、伝染病に苦しみもがきながら、多くの人が犠牲になりました。
アジアチャイルドサポートは2003年の調査後、ただちに緊急の食糧支援をおこない、栄養を考えた鶏肉や野菜も加えました。同時に老朽化した建物の改修工事や重症患者のための住居を建設し、自立に向けた職業訓練、後遺症に対する医療支援など現在も継続中です。
長生きすることが一番のお礼です。
生活環境が改善されたことで、施設の平均寿命も上がりました。最年長のドォーティラワティさん(87歳女性)は、入所当初は栄養主張で、目もほとんど見えなくなり、足腰も弱り寝たきりの状態でした。ベッドの上で「私みたいな人間はみんなに迷惑をかけているので、生きている意味がない」「何も悪い事をしていないのに、罪人を見るような目で見られ、さびしかった。もうすぐ天国に行くから話かけないで」と言い、差別を受け続け生きる希望を失っていました。
入所後は、栄養のある食事と適切な医療を受けることで、体力が回復し、生きる力が湧いてきました。
施設の仲間一人ひとりとの交流も深まり、本来の明るさを取り戻し、今ではひとりで歩けるようになっています。「私がこれからも元気で長生きすることが、施設のみんなを元気づけ、日本のみなさまに対しての一番のお礼です」と力強く話してくれました。