私の家は、両親と妹と弟の5人家族です。家は貧乏だったため、学校には行っていません。10才の時、叔父に預けられからは、近所のおばさんがよく可愛がってくれていました。
ある日、そのおばさんに「お金にも困らずおいしいご飯も食べられて良い服が着られるよ」と、カトマンズでのメイドの仕事を紹介されました。夢のようなその話にすっかり嬉しくなりた私は、彼女と一緒にカトマンズへ行き、さっそく部屋を借りてもらいました。3日後、彼女は私の父と同じくらいの年の男を連れてきて、部屋に私と彼を残したままどこかへ立ち去りました。すると、その男がいきなり窓とドアを閉めて私に性暴力をふるったのです。
その男はカトマンズで小さなレストランを経営しながら、そこに来た客の相手をする売春婦として私を働かせました。時には、ゲストハウスにも連れて行かされました。私は食事と服と部屋を与えられましたが、お金は全然もらえませんでした。いつも家族の事を思い出し、泣いていました。何度も逃げようとしましたが、無理でした。昼も夜もなく仕事をさせられ、12年が経ちました。
私は急に具合がすごく悪くなり、座ることも食べることも出来ない状態になってしまいました。「仕事はできません」と言っても、殴られて強制的に仕事をさせられました。病状も悪くなり衰弱してきたため、おばさんが病院まで連れて行ってくれましたが、私を置いてすぐいなくなってしまいました。お金がないため病院から治療を断られ、1人取り残されてしまったのです。その時、運良くボランティアのおかげで検査を受けることができたのですが、結核とHIVに感染していると知らされました。
あまりのショックと病状の悪化で意識がもうろうとする中、私はこのまま死んでいくのだと思いました。そんな時心配した友人がHIV感染者保護施設を探し出してくれました。ここでは食事や宿、洋服の提供やカウンセリングをしてくれて、見ず知らずの私にたくさんの愛情を持って接してくれました。
この施設に助けられて6か月になります。はじめは誰とも話す気になれませんでしたが、今は皆と話をするのが楽しいです。死の宣告を受けたと思い込み、生きることを諦めかけていた私に希望を与えてくれました。毎日薬を飲んでいるので体調もだいぶ良くなっています。体力が回復し、元気になったら人生の目標を持ち、自分の力で進んでいくことを約束します。日本の皆さんと施設のスタッフの皆さんに心から感謝しています。私みたいな女性と子どもが、これからも助かることを祈っております。
公益財団法人公益推進協会の夢屋基金助成事業に、当団体が行っているネパール・マハンカール小学校への給食支援事業が評価され、応募60団体の中から、助成団体として選出されました。
夢屋基金を設立された夢コーポレーション株式会社様より、2013年11月2日~4日の3日間に渡って開催された「なごやBUNKAフェス2013」内で執り行われる贈呈式に招かれました。
大勢の方々が詰め掛けたイベント会場では、助成選出団体紹介の夢屋基金ブースが設けられ、特設ステージでは来場者の方々への活動報告をさせて頂きました。
2010年から給食支援を行っているマハンカール小学校では、125名の子どもたちが勉強に励んでいます。毎日の食事もままならない生活の中、学校で出される給食は子どもたちにとって、大切な栄養源となります。栄養失調で学校へ通えなかった子どもたちも元気に登校できるようになっています。