児童労働とは・・・概ね15才未満の子どもたちが、十分な教育や成長の機会を与えられずに働くことをいいます。また、18才未満の子どもが心身の健康、安全、道徳を害するおそれのある労働に従事している場合は「最悪の形態の児童労働」といいます。
※国際労働機関(ILO)2012年発表
アジアの色々な国で「懸命に働く子どもたち」を見て来たのだが、その多くは家族や親の為に働く姿だった。ゴミ捨て場やレンガ工場等の深刻な労働環境で働く子どもたちも確かに存在する。最も辛いのは、未来の希望も夢も無い、絶望的な悲しみの中で働く子どもたちです。
ヒンズー教信者の多い、ある国(あえて名前は書きません)の大都会で父親と共に素手でゴミを片付ける子どもたちに会った。悪臭凄まじい残飯や生ゴミを汗だくになって、黙々と拾い続ける。この子どもたちは生涯、ゴミを片付ける仕事をやって行くと言います。この子達だけでは無い。彼らの子どもも、その孫も「ゴミを片付ける」仕事をせざるを得ない。将来も未来も有ったものではない。ヒンズー教の教えだとも言うが「人間は生まれながらに職業が決められる」との観念が存在する。身分によって一生の暮らしが大きく左右される。身分低き者は焼物等を造る職人、鍛冶屋などになる。最下層の人々はトイレ掃除やゴミ拾いの仕事をするしか無い。もちろん昔に比べると、その差別意識は低下して来ているが、まだまだ偏見は存在していると私は見ています。異国の文化や宗教の概念に立ち入るのは失礼だとも思うが、やはり目の前で生ゴミを素手でつかむ姿は胸が痛い。
最下層の人々が暮らす村に学校を建てたのが数年前。子どもたちの心から「夢」は消し去られていた。お父さんもお爺ちゃんも、その前の先祖も身分低き者。「勉強しても意味が無い。どうせ自分達はまともな仕事は出来ない」と決めつける悲しみが存在していた。親も「学校に行っても何の役にもたたない。勉強するぐらいだったら働け」と言う。その結果、学校にやって来る子どもたちは少なかった。今日の食事さえままならない子どもたちは、いつも腹をすかせている。そこで考えたのが給食支援。クッキー、袋入りラーメン、乾燥米と大豆などを「学校に来て勉強したら昼食を出します」と伝えると子どもの数が一気に増えた。
「教育は貧しさから抜け出す希望の光」だと信じています。文字の読み書きが出来ると本を読み出す。多くの情報を自らの力で手に入れる様になる。そして「自分にも出来る」と差別に打ち勝つ力も湧いて来る。身分差別に苦しむ子どもたちに希望の光が見えて来る。
ヴィエンチャンから北東へ8時間近く車を走らせると、ベトナム戦争の被害が一番ひどかったシエンクワン県に入ります。300万トン以上の爆弾が(当時の国民一人当たり1トン!!)が投下され、建物という建物全てが米軍によって破壊されてしまった地域です。
その中心部ポンサワンからさらに3時間、山岳地帯のど真ん中、クーン市ギャーン地域(居住者約3200名)から、安全で綺麗な水が不足していると支援要請がありました。そこでACSは、その中心にあるプーヴィエン村と周辺3村にまたがる場所に大規模工事を1年がかりで行い、実に1600名以上の人が安全な水を利用できる水道施設を完成させました。
今年7月、ACSを通して支援してくれた日本の皆様に感謝の想いを伝えたいと、地域住民はじめクーン市長代理、建築会社社長など200名近い人々が集まって式典が盛大に催されました。大雨、洪水などで工事が中断されて工期が大幅に伸びてしまったこと、また、標高1670mの険しい山中にある水源地整備、村まで5.5kmものホースを埋めるための溝堀りやホース運び、貯水タンクづくり等重機が入れない山岳地帯での作業にプーヴィエン村の皆が一生懸命取り組んだと聞きました。
同村出身のマニー・ポンマヴォンさん(30)は「以前は、子どもを抱きかかえ、バケツに洗濯物を入れて川まで歩いて下り、子どもの体を洗い、洗濯をして水を汲み、子どもと水と洗濯物を抱えて30分も山道を歩いて持ち帰っていたんです。凄く大変でした。これで本当に生活が楽になります。有難う」と喜んでいました。
在日ラオス大使のケントン・ヌアンタシン閣下からは「このたびは水道施設建設のご支援を頂き、誠に有難うございます、水を寄付するということはラオスでは非常に良い行いであるとされており、運が良くなると昔から言われています。ACSと支援者の皆様の末永いご健康とご多幸をお祈り致します。ラオスと日本の今後一層の友好関係の継続を心から願っております」とのお言葉を頂き、ラオス政府からの感謝状が贈呈されました。