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伝伝虫通信バックナンバー 通巻40号 ①
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東日本大震災「思い出プロジェクト」

戻りつつある浜

宮城県石巻市萩浜は、「萩浜、折浜、弧崎浜、小積浜、侍浜、竹浜、牧浜、月浦、福貫浦、桃浦、蛤浜、鹿立浜」の、12の浜からなる地区で、北からの親潮(千島海流)と南からの黒潮(日本海流)が、ぶつかりあう海洋資源が豊富な好漁場のひとつで、牡蠣養殖が盛んな漁師町です。

5年前の3月11日、津波はこの地区も襲いました。養殖施設や牡蠣処理場、漁具倉庫も、ほぼ全滅。70%の家屋が全壊し、多くの方が犠牲となってしまいました。あれから5年、それぞれの浜で会社を設立するなどの試行錯誤をし、まだ禁漁の解けていない魚種はあるものの、牡蠣の水揚げ量は震災前の水準近くまで戻ってきています。桃浦、竹浜など、高台への移転がはじまり、12地区で最後となる萩浜でも急ピッチで移転場所の造成工事が進められていました。

高台移転地の造成工事
高台移転地の造成工事

写真でしか見ることが出来ない・・・

アジアチャイルドサポートは、震災の直後から、萩浜保育園の倉庫や浜の漁師への軽トラックの寄贈、石碑の復元など、支援を続けてきました。5年が経過した現在は、津波で思い出の詰まったアルバムや写真を失ってしまった皆さんへ、学校に保存されている卒業アルバムや記録写真などをお借りして、収録したDVDをお届けする「思い出プロジェクト」に取り組んでいます。東浜小学校、萩浜中学校、震災の後、休校になってしまった萩浜小学校から特別にお預りした貴重なアルバムには、入学式や卒業式だけでなく、父親たちの漁船が見守るなか、海で行なわれた遠泳大会や地域全体で参加した運動会など、ページをめくると、子どもたちの歓声や大人たちの応援が聞こえてくるような写真が収められていました。休校となった萩浜小学校の運動場からは、もう子どもたちの声を聞くことは出来なくなってしまっています。家並みや浜の通り、かつて泳いだ海も様相を変えてしまいました。

アルバムを見て当時をなつかしむ
アルバムを見て当時をなつかしむ

事業に協力して頂いている石巻市役所萩浜支所、支所長の木村さんとOBの佐藤さんは、写真を眺めながら「懐かしいなぁ。楽しかったなぁ。こんな事もあったなぁ。」と懐かしそうに語り合い、「住んでいた家も思い出の場所も、もう写真でしか見ることが出来ないんですよ。そんな写真さえも手元に残っていない人がたくさんいるんですよ。思い出プロジェクトは、わたしたちにとってそれだけ意義のある事業だと思っています」と話してくれました。

定年を間近に控えた木村さんは、震災前に故郷の萩浜に赴任し、自ら被災しながらも浜の復興のために尽力しています。佐藤さんは、市役所を定年退職した後も、大好きな故郷萩浜にトレーラーハウスを持ち込み、浜の変わりゆく姿を写真に収めていて、今回も記録写真を提供して頂きました。

「写真ぐらい欲しいよね」

スキャニングを担当する写真館ライフの田口さんは、あの日、萩浜の保育園に卒業アルバムを届けた後、地震と津波に遭い、石巻市内に在る写真館も被害を受けました。機材も全て水に浸かってしまい、泥だらけになった館内を片付けながらも、保育園のテーブルの上に置いてきたアルバムのとが気掛かりで、水に浸かってしまったコンピューターから、なんとかデータを取り出し、もう一度子どもたちにアルバムを届けたそうです。

1枚1枚、丁寧な作業
1枚1枚、丁寧な作業

震災の後、集合写真に写った1cm角にも満たない顔をどうにか引き延ばしてくれませんか、などの問い合わせも多数あったそうで、「1枚も残っていないんだから、どうやっても欲しいよね。何も無くても写真くらい欲しいよね」と寂しそうに呟き、「今回の事業は、それだけで尊い事に取り組んでもらっていると思っています」と話しながら、アルバムにくっついた写真が剥がれないように、1枚1枚ていねいに取り出し、作業を進めていました。

借り受けたアルバム
借り受けたアルバム"

何気なく写した写真も、記念写真も、その一枚一枚が、戻ることの出来ない時間や記憶、そしてその時の想いを呼び戻すことができると思います。そんな思いの一助となるように「想い出プロジェクト」DVD、来年には完成する予定です。

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