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伝伝虫通信バックナンバー 通巻43号 ②
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ダイビングスポット、世界遺産としても注目を集める美しい海と自然に恵まれたパラオ共和国は、1994年にアメリカから独立しました。
 1920年、国連によって日本の委託統治領となったこの地には大勢の日本人か移り住み、インフラや社会基盤の整備、学校や病院の建設、水産業や農業、鉱業などの開発や技術指導、義務教育や看護婦養成なども行われていました。  1938年の南洋群嶌要覧によると、当時の移民数は15,000名を超えていたとのこと。移民経験のあるご先祖様をお持ちの方も結構おられるのではないでしょうか。
 日本が敗戦したのちアメリカ領となり、言語をはじめとしたアメリカ式の教育がなされましたが、独立以降もいまだに1,000語以上もの日本語がパラオ語として残り、日本式の名前を持つパラオの人も多くおられるという、大の親日国家なのです。

 現在、観光以外に主だった産業がなく国家予算も非常に限られており、パラオ政府としても社会的弱者に対する施策を十分に行うことが難しい状況にあります。スタッフの絶対数も足りず、介護の必要な方への訪問介護・看護でさえ、月に一度が限界とのことでした。
 エイジングセンターに通所してもらうことができるようになれば、介護要員の数が少なくてもたくさんの方のお世話をすることが出来るようになります。車椅子でも通うことができるように送迎車両の支援を決定しました。
 平成30年9月、コロール州オールドエイジングセンターにて、リフト付き福祉車両2台(コロール州、ペリリュー州―台ずつ)の寄贈式を行ないました。式典では、電動リフトの試乗を行ないましたが、車椅子に座ったまま乗車する様子に驚き、喜びの声が溢れていました。


式典に参加された皆様の声

社会文化省大臣 バクライ・テメンギルチルトン様
「この車のおかげで、車椅子だからと、来所することを断念していた皆さんもエイジングセンターにお越しいただけるようになりました。日本のみなさんに心より感謝申し上げます」

ペリリュー州知事 テミー・シュムル様
「高齢者の人たちは、ほとんどの時間を自宅で過ごしています。これからは、この福祉車両に乗って、島の反対側や町内を移動することもできるようになります。日本の皆さんに心より感謝申し上げます」

施設職員 ルイス・カルー様
「車椅子に座るお年寄りの方をお連れするのは本当に大変でした。一人では絶対に無理。時には運ぶことを諦める。この車が来てから私だけでも簡単に乗せることができるようになりました。有難うございます」

施設利用者 フユコ・ヒロイチ様
「この車が迎えに来てくれるので、これからは家から出ることが楽しみです。日本の皆様いつも私たちを想ってくれて有難うございます」

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